ウヨキョクセツ(仮)

躁鬱病改め、統合失調症らしい。闇をぶちまけたり、ぶちまけなかったり。

チャットアプリ

鬱状態のようで躁状態のようなそんな日に、同じ境遇の人との繋がりを求めた俺は、ネットのチャットルームを巡っていた。「メンヘラ」、「病み」、そんな言葉でルーム検索をするが、見つかるのは見せかけばかりの闇ばかり。通常のルームにも入ってみるが、人口が少ない故に身内間での繋がりが強まっていて、よそ者を受け入れる余裕は無いようだった。それでは、携帯のチャットアプリを使ってみようと思い立ち、出会い色が弱そうなアプリをダウンロードした。そのアプリでは出会いを強要する行為や、連絡先の交換は禁止されている。しかしながら、利用している男女は出会い目的の者ばかりで、自分の中で性の色が強く出たアプリへと変貌した。

そのアプリでは、Twitterのようにホームに様々な人の呟きが流れてきて、それに対してリプライしたり、その人に個人チャットできたりする。とりあえず誰かと話したかった俺は、個人チャットを募集してる人の所にチャットを送っていた。しかし、何人かやっても出会い目的ばかりで、早々にブロックされてしまう。何人目かで、漸く会話が続く女が現れた。プロフィールには、彼氏持ち。なるほど、出会い目的ではない訳だ。他愛もない話を続けながら、徐々に夜も更け、思考能力も低下してきた中で、会話の内容にも闇が現れ始めた。俺は自身の精神障害のことについて話すと、どうやら相手も同じような症状らしい。家族や彼氏の関係で精神が磨り減っているようだった。相手の悩みの解決策を模索しながら、俺は満足感を感じていた。相手に彼氏がいて、見知らぬ自分がその悩みを解決しようとする、この関係性の距離感がとても心地よかった。

次の日になると、やることも無い俺は、ホームに流れてくる呟きに片っ端からリプライを飛ばしていた。くだらないコメントに突っ込みを入れたり、趣味が合いそうならその話題をふったり。そうしている中で、俺が悩みがある人には優しく接していることに気が付いた。どうやら俺は、どうしようもなくお人好しで、利他的な人間であり、目に見える範囲の不幸にはとても敏感らしい。逆に、今までを省みると、不幸が目に入らないように立ち回っている節がある。それは、防衛として身に付けたものだ。全ての人間の不幸を無くそうとしても、それは現実的ではない。むしろ、幸せの裏には不幸せがあり、お互いでバランスを保っている。つまり、俺はネットの世界には向いていないということだ。絶え間なく流れる闇の波が、俺を飲み込み押し流す。その中で光を放とうが、闇の光沢と化し、気にも留められない。だから、気付いた人だけでいい。小さな光は照らすことはできずとも、闇を彩るのだ。