ウヨキョクセツ(仮)

躁鬱病改め、統合失調症らしい。闇をぶちまけたり、ぶちまけなかったり。

下り階段一段版

気分が翻った。

今日は映画を観たり、ゲームをしたりして快活に過ごせたと思っていた。しかし、それらの疲労からか、気分は眩暈を覚えるほどに急降下し、すぐさま死が張り巡らされた懊悩に苛まれることになった。

つい数時間前までは気分が良かった。映画のメッセージを素直に受け取り、前向きになることができた。

その映画は、ジャンキーのストリートミュージシャンが一匹の猫と出会った所から、人生が好転していくという実話を元に作られた物語で、人生の起伏や唐突さなどがテンポ良く描かれている。

そこから、「人生生きていれば良いことがあるさ」ではないにしろ、自分もどうにか救われる日が来るのではないか、と希望を持つことができた。しかし、今の状態では希望の受容体が機能を停止していて、光を感じることすら危ういようだ。映画のことを思い出しても、「運の良かった奴が取り上げられたに過ぎない」と思ってしまっている。前向きになろうとする俺に対して、誰かが俺を押さえつける。「前向きに考えてはいけない」、と。

どんなメッセージを感じ取るかはその人間次第になるということは分かっている。受け取り方に問題があることは。「前向きに考えろ」、「深く考えるな」、そんな言葉には意味がない。俺はただ、沸いてくる感情に形を与えるに過ぎない。俺のこの感情は、タールのようなものだ。形の有無ではない。

前向きになる方法は、分からない。おそらく、眠ればいい。経験則から言えることだ。明日になれば元に戻っている筈だ。だが、しかし、死にかねない気分からすぐに前向きになれる俺とは、いったいなんなんだろうか。