Death Strandingについて思うこと
注意!この記事は筆者の主観が多分に含まれています!
去年ゲーム業界を騒がせた小島監督の最新作「Death Stranding(以下デススト)」はオープンワールドのゲーム性を再定義しました。あ、この「再定義」という言葉はファミ通から拝借しました。
私はオープンワールドのゲームをあまり遊びません。海外のオープンワールドゲーム等はすぐに飽きてしまいます。なぜなら、"移動がつまらない"から。
物量作戦のオープンワールド。移動の中のアイテムを増やすこと。これでは飽きました。道中の突発的なイベントをもっと増やして欲しい!なんて、イベントを作るのも大変です。と、ここで思いつくのは、「移動自体を楽しくしたらいいのでは?」ということ。
移動自体が楽しいオープンワールドはGravity Daze、スパイダーマン等が代表的です。でもこれは、いわば偶然の産物。建物スレスレを飛ぶとなんか楽しい!というもの。この手のものを発見するのは難しい。そこで小島監督は基本に立ち返りました。ゲームの根本、障害と達成。
移動自体をゲーム性にし、よくあるオープンワールドのような開発規模は必要なくなりました。移動に慣性(障害)、重心移動(達成の手段)を付け加え、緊張感が生まれました。ちょっとしたアクセントにミュールとBT(障害)を加えました(あとそれに対抗する手段)。はい完成。
あ、ソーシャルストランドシステムを忘れていました。これは、他者の設置した物やアイテムが共有されたりなどするのですが...今は亡きトゥモローチルドレンを思い起こさせます。好きな要素のひとつです。
このゲームのテーマは「繋がる」。確かに、ソーシャルストランドシステムやストーリーなどその要素はありますが、本質はそこではありません。移動をゲーム性として据えたことです。それによって、実際に険しい道を越える時の過酷さや、それを越えた後の平坦な道での開放感、達成感が味わえます。これは、迫りくる敵を倒すようなゲームとは違う、もっとじわじわと持続した、少しだけ緊張感のあるような感覚です。
そして、自由度も保たれている。道があったら皆辿るから、皆が辿ったところが道になるようにした。カイラル通信を繋いだところで漸く道ができ、皆の物が使えるようになる。ルート構築の変化も生まれます。運んだ後の楽をできる要素として、国道、ジップラインがあります。これを作った後はまあ、作業的になってしまいますが、やり込み要素としてはいいのでは。
と、いうようにデスストは、オープンワールド界の革命的なゲームであり、練り上げられたものである、と言わしめるものでありました。