生きる才能
俺には生きる才能が決定的に欠けていると思う。
いじめる・いじめられるで言えば間違いなくいじめる側であるにもかかわらず、人を傷つけた時のことを克明に覚えている。そりゃあ、自分が覚えていないことだっていくらでもあるはずだ。けれど、間違いなく罪悪感を感じながら行った悪行というのは、今でも自分を苦しめる。そんなの、普通は覚えていないもの。それが、正常。
それから、深く考えすぎる上に前に進まない思考。「思考する」という時点で生きる才能は完全とは言えないのに、輪をかけてこれだから、話にならない。
俺は当たり前のことができていない。皆が思考するまでもないところにまで思いを巡らし、結果的に空回っている。それを見た他人の評価で一喜一憂する。
こんな人間、いずれ自殺する。死ぬタイミングは何度もあったのに、未遂で終わってしまったのが残念に思う。珍しく共感性の高い先生が眉間に皺を寄せ、痛ましさを湛えた顔で、我が子のことのように俺の顔を見ていた。どうしてもその場面がチラついてしまう。成功していれば、あんな顔を見ることはなかった。