考えない友人
考えないことってのは本当に大事なこと。
心身が健康な私の友人に生きる理由はあるか、と聞くと、「そんなこと考える暇もなかった。ただ目の前のハードルを飛び越えてきた。」こんな感じの答えが返ってきた。
いや、考える暇はあった筈だ。下校途中、風呂、寝る前...ただ深くまで考えないってだけ。
そしてそれが健康たる所以...。
こいつは重ったるい出来事を上手く受け流す。表面上の笑いにしてやり過ごすことができる。自動車学校で教官に詰られた時もスンとしていた。俺は全て真正面から受けて人格否定された心持になり、半泣きになっていたにも関わらず、だ。
でも、受け止めてくれることもある。本当に真剣になったときだけ。
でも、理解はできないだろう。しようとしないのかもしれない。してしまったら、今度は自分が危ないからだ。
俺の父親もコイツに似ている。目の前のハードルを越えるタイプの人間。
俺のマイナスな言葉に合理的な意見で迎え撃つ。その言葉は俺と同じ、後天的な地盤に支えられているとも知らずに。
父親は死にたくなったことがあるという。それを仰々しく言う時点でかけ離れた人間なのだ。
自分は恵まれた人間だと思うことがある。なのになぜこんなに鬱屈していくのか、と。
ただ、心が貧相だ。幼少期に自己否定を植えつけられた人間。
前に進もうとしているのに、立とうとしているのに、膝に力が入らない。
無償の愛なんて、受けたことがあっただろうか。