ウヨキョクセツ(仮)

躁鬱病改め、統合失調症らしい。闇をぶちまけたり、ぶちまけなかったり。

綽綽余裕の恋愛弱者

俺の周囲には恋愛してる奴が少ない。類が友を呼んでるのかもしれねぇが、でも中には、共学で恋愛してきた奴もいる。まぁ、そいつは顔が良かったから例外的かもしれねぇが、生きていくために欠かせない浅慮さをしっかりと持っていた。

一方俺に似た連中はというと、不器用な真面目さと、一途さ、不必要な思考力を持っているせいで、所謂、重い愛ってやつになっちまうんだな。愛って重いもんじゃねぇのか?と思ってたが、世間的にはそうでもねぇみてぇだ。そう思って思い返すと、家族の愛ってのは軽快なもんだったかもしれねぇ。それは俺がガキだったから、言語で思考するってこともできなかったってのもあるのかもしれねぇ。だが、確かに家族の愛には、重い地盤と、その上に流れる明るい空気があった。

もしかしたら、どれだけ外に出すかってぇ違いかもしれねぇ。許容量を超えて溢れ出たもんだけが相手に伝わりゃ、その奥まで読み取れるってこと。

そう考えると、言語上、表面上だけで愛し合う奴らのなんて上滑りなことか。なんて、上に立ちたい訳じゃねえ。花が実になってくみてぇに、後から作られることもあるじゃねぇか。ただ、それをしてる奴らには、例えりゃ、相手を高価な飾りもんみてぇにしてることもあるってことだ。SNSとかいうショーケースの中に自ら進んで見世物になっていく輩がいるわけだ。そこから成長できなきゃ、すぐに別れるのも無理はねぇな。

でもな、こういう奴らってのは意外と多いんだ。まず、世間的な流行の顔って奴と見比べて顔が良いか判断する。そんなのはなんの意味もねぇのにな。自分の好みに従うだけ、感覚に従うだけでいいんだが、それが麻痺しちまってる奴が多いみてぇだ。

彼女彼氏の顔が好きだ、性格が好きだ、なんだかんだってのも、存在自体を愛するとこまで行かなきゃ意味がねぇ。まぁ、かく言う俺も、それができているのかは疑問だが...