ウヨキョクセツ(仮)

躁鬱病改め、統合失調症らしい。闇をぶちまけたり、ぶちまけなかったり。

繊細で鈍感で

今週のお題「わたしのインターネット歴」

家にインターネットが引かれるまでは、学校のコンピュータルームで「yahooきっず」なるものを利用して、当たり障りのないものばかり調べていた。そこではインターネットの闇が排除されており、便利な百科事典程度のものだったと思う。

たまに親戚の家に行くと、本当のインターネットがあった。フラッシュ全盛期だった当時は、面白い動画や、恐ろしい動画がたくさん転がっていた。

ビビリだった俺は、よく親戚に恐ろしい動画を見せられて、眠れなくなったものだ。

親戚は、俺より2つ年上で、よくインターネットを使いこなしていた。

チャットルームで友人と話したり、メールで女の子と話したり、オンラインゲームをしたり...

小学校高学年になって俺の家にインターネットが引かれたとき、パペットガーディアンを始めたのも、この親戚の影響からだった。

ゲームの中で親戚と話しその友人と話しながらも、小学生の俺と中学生の向こうの間に、不透明な壁があるような気がして、疎外感を感じたものだ。

今思えば、そういった全く違う年齢の人々が出会えるのも、インターネットの良さなのかもしれない。

ゲーム中に酷い言葉を浴びせられて落ち込むこともあれば、褒められて舞い上がったこともあった。

実際に顔が見えないぶん、言いたいことを言えるようになってしまっている、良くもあり、悪くもある部分である。

暴言を浴びせられ、言い合いになっている所をよく見た。反論は自己防衛の手段という可能性も考えると、本当は繊細な人間が集まっているのじゃないか、とも思う。

2chなどでは特にそうかもしれない。ROM専ではあったが、2chをよく見ていた時期があった。知性で上をとろうとする人もいれば、まともな書き込みをする人間もいる。

馬鹿げた板もあれば、真面目な板もある。あそこはまさにインターネットで、俺は今でもたまに覗きに行くことがある。

和気藹々としている空間で冷めるような発言をするのも分かる。嫉妬心からそのような発言をしたと考えれば、許容できやしないだろうか。少なくとも自分は、そのようなことをしたことがある。

みんな、何でも真正面から受け止めてしまうのだ。俺だってそうだが、「死ね」という言葉を受け流すほどの強さがあれば、何でも面白がることができれば、寝るだけで全て忘れられてしまえば、どんなに良いか。

鈍感を装った繊細な人間達が、今日も書き込みをする。相手がどう思っているかなんて、考えたくもない。鎧を身に纏うしか、ないのだから。